この土日は、この地区での祇園祭が行われる。
京都の祇園さんとは全く趣が違うけれど、こちらもれっきとした神事である。
まぁ、大人も子供も楽しむためのイベント、となっている面は否定できないだろうけど。
昨年の動画、アップされていた人がいたのでお借りした。夜の屋台運行の雰囲気はこんな感じ。この日のために、子供たちは何日も笛や太鼓の練習に勤しむ。
その晴れの舞台となるのがこの日である。
・・・と言っても、実はこの地区は結構まつりが多い・・・と思う。この祇園祭の前にはいわた大祭りがあり・・・まぁこれは神事ではなく催事なんだけどね。
秋口にはメインイベント、見付天神裸祭が控えている。
でもって、うちの地区は微妙に噛んでないので特に参加はしていないけど、でも噛んでいる地区は、その後に府八幡宮祭典なんていう祭典にまで出ているところもある。
多くは語らないが、好きじゃないと続かないよなぁ、ってのが率直な感想。
ちなみに、自分はこういった祭りの雰囲気は、なんとなく苦手である。
皆でワイワイやって、バカ騒ぎして、力を合わせて盛り上げる・・・的なものは、基本的には近寄らないようにして生きてきたタイプなので、正直「お祭り大好き人間」という人たちを正確に理解出来ていないと思う。
そう、「嫌い」ではなく「苦手」な感じ。
さて、話は戻って祇園祭である。
一応メインイベントは本日執り行われる「例祭」であるが、それに合わせて各町での屋台引き回しがあり、地域住民の一般的な「祇園祭」のイメージは、この屋台引き回しである。
実は、先日過去ブログをサルベージしたとき、そのことを書いたエントリーを見つけた。
祭りが終わって
実に10年前のエントリーである。
あの頃、子供たちはまだ小学生の低中学年で、自分の祭での役割は、「祇園祭という屋台引き回しに子供会に入っているうちの子供たちが参加するが、長時間の参加ということもあり、目を離さないように見守る父兄」としての参加だった。
子供たちの祇園祭への参加は、その後も続いたが、段々大きくなってくると、わざわざ親がつかなくても大丈夫になり、中学生になってからは参加もまばらになり、うちと祇園祭との関わりはほとんど無くなっていった。
祇園祭だけでなく、裸祭とかの地域のイベント全て、「参加する側」ではなく「見物する側」になっていた。
ところが、である。
去年と一昨年の二年間、町内の自治会の一員として評議員をやった辺りから、また風向きが変わってきた。
もともと自治会活動とは、その町内で暮らす人たちが支障なく生活を送れるようにバックアップするため、町内住民が持ち回りで評議員を担当していくものだが、その活動の半分以上が「祭りの滞りない進行」に費やされている、とやってみてはじめて知った。
そして、晴れて評議員の任期を終えた今年、もう「祭り」に関わる必要はあえてなかったんだけど、最近マイブームになっている、ある「拘り」により、今年も参加することになっている。
その拘りとは、「もしAとBの2つの選択肢があったら、より難しい(あるいはメンドクサイ・今まで避けてた)選択肢のほうを選ぼう!」というゲーム。
理由は、そうすると今までと違う人生になるから。
だってそうだよね?
今までと同じ選択肢を選ぶってことは、今までと同じレールに乗って、今までとそう変わらない結果につながるんだから。
まぁもっとも、いつでもどこでもこれが発動する訳では無い。
だけど、特に迷ったときとか、意識しているときにこれが発動すると、今回のような羽目になる。
と言う訳で、自治会を卒業した自分は、壮青年部の一員として参加している。
この壮青年部というところも、今までの自分だったら敬遠していたであろう組織。
なにせ役割分担が多い。
それは二年間評議員として、地域の活動を支えている壮青年部を見ていたのでよく分かった。
基本的に面倒くさがりな自分が、わざわざ好き好んで「火中の栗」を拾いに行くかの選択をする訳が無かった。
これまでは。
カミさんにも言われる。
「どういう心境の変化?」
って。
なんだろうね?
変身願望?
承認欲求?
そういったこともあるかもしれない。
でも、単に今までの生き方に「飽きた」だけかも。
あと、何でもちょっと大げさに考えすぎていただけかも。
とにかく、今は結構いろんなことが面白い。
そんな感じで望む祇園祭が始まる。
あ、もう始まってるんだけどね。
安全で楽しい屋台引き回し運行が、壮青年部に課せられた本日の任務なので。
余談。
屋台飾りつけの紐がほどけてしまった。
なんとか元のように結ぶ方法は無いだろうか?って探すと・・・
すっげー参考になった。
なんでもあるんだね。