車一台でも生活出来そうね

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車を修理会社に預けて数日、まだ連絡が無い。

一応木曜日にならないと部品が届かないってことなので、つまり最速で明日ってことになるから、そりゃまぁそうだろう。

ってことで、一台しかない車を夫婦2人で使おうとすると、当然2人とも使いたい場面ってのが出てくる訳で・・・今朝はカミさんが休みにしている日なので、朝自分の職場まで送ってもらった。


超なかよし夫婦っぽい。

あ、そう言えば、ちょいちょいそうやって送ってもらっている人、居るなぁ。毎日じゃないけど。

あれって、要はそういうことか?

「今夜は飲み会!」とかってこともあるんだろうけど・・・考えてみると、大体自分たちと同年代の方々なので、察するに「免許をとった子供に車をとられた」とかそういうことではなかろうか?


わざわざもう一台車を購入すると、それらの維持費用もなかなか大きくなるし、選択肢として「一人一台」を止めるというのは、十分考える価値があるのかもしれない。



まぁ最近よく考えることだけど、自分たちの親世代のころと、自分たちとでは、大分前提となる経済状況が違っている。


うちの親世代、今ちょうど70前後になるような年代の人たちって、その人たちが第一線で働いていた当時の社会的背景を一言で言うなら、「イケイケドンドン!」でやってこれた時代だと思っている。


景気で言うなら基本的には上向き加減の。

人口で言うなら、どんどん増え続けている時代の。

生産と消費のエネルギーが、今よりももっともっと満ち足りていた時代だった。


今はどうか?って言われると、別に無くなってしまっている訳じゃない。

だけど、全体的に「成長」だけではなく、「熟成」とか「衰退」っていうワードも入り混じっていて、「何とかなるさ!」だけじゃ何とかならない場面も増えていると思う。

自分たちの境遇を社会のせいにするつもりも無いし、「昔はよかったよねぇ・・・」なんて言っていても始まらない。

ただ、そういう現状だという認識は絶対に必要だと思う。


自分たちの親世代は、言い方悪いかもしれないけど、「働いてさえいれば給料が上がっていった」世代。

今はもう、そういうことを思っていないかもしれないけど、仕事を続けていれば給料は自然と上がるもの、って思っていたはず。

なんか、親からそういうことを言われて育った記憶がある。

なぜなら、親世代の常識はそうだったから。


今は常識はどうだろうか?


昇給って、基本的にはあまり無いよね?

少なくとも、毎年ベースアップでガンガン昇給するなんてのは、ごく一部の景気のよろしい業種だけだと思う。


それどころか、「年功序列」「終身雇用」という言葉も無くなって久しい。

まぁ、「医療・介護」は景気に左右されない業種筆頭なので、余計にそう感じる部分はあるけど。


そういう時代では、「昇給が大きいのは、より能力の高い者」「収入が多いのは、より大きなリスクを取った者」ということになっている。

今現在の常識で言えば、そのほうが公平だと感じる人も多いだろう。


そういう時代を生きる自分たちにとって、生活上の大きな経費は、可能なら避けて通るべきなのかもしれない。

例えば、家とか車とか。

あぁ、もちろん、欲しいのなら別だけどね。
何となく、皆が持ってるから、皆が選んでいるから、って選択をするものでは無くなってきている。


「費用対効果」、という言葉があるが、どうも個人のとって家とか車とかを購入・取得するのは、この費用対効果が悪くなってきている気がしてならない。


何と言うか、「ここまでのお金をかけるほどの価値、あるの?」って感じる事無い?


・・・まぁ稼ぎが悪いのが一番の理由なんではあるが。


じゃあ、どこにお金使うの!?って問われれば、そりゃあ人それぞれって話なんだけど、ね。


って訳で、早く車直らんかなぁ。

これだけの維持費を費やしているのなら、それなりに便利でないと困るし。

でも、子供たちが皆車の免許を取ったとして、皆車所有するのかなぁ?
なんか、わざわざ買わないような気がするなぁ・・・

別に大都市部に住んでいる人たちだけじゃなく、こんな田舎で暮らしている人たちにとっても、車は所有するものでは無いような・・・そういう時代がすぐそこまで来ているんじゃないだろうか?

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