どうにも毎日書いていく調子が出ない。毎日書かないと、「あれ?前回どんな感じだったっけ?」って読み返しの時間が増える。ますます時間効率が落ちる。
あまりいい感じではないなぁ。
もっとも、何が悪さをしているのかは分かってるんだけどね。
生活リズムを変えないで、新しいことを始めようとしても、それはちょっと無理があるっちゅーもんだ。んで、生活リズムを変えたくない一番の理由が「お酒を飲むこと」なので・・・
まぁブログを頑張る以上、お酒はほどほどに、むしろ休止なり中止なり、なんなら卒業までしちゃったほうがいいんだろうけどね。
だってブログだけじゃない。健康にもいいし、体重は間違いなく落ちるほうにシフトするだろうし(現在は増えるほうに向いている)、睡眠の質もよくなるし、無駄な出費も抑えられるし、なにより自由に使える時間が増える。
なんだ、いいことづくめじゃん。
何で止めないんだろうねぇ?
そりゃあ決まってる。いろいろなメリットを総合しても、お酒を飲んだ時に得られる価値観のほうが上だと思っているから。
「いやぁ!この一杯のために生きてるな!」
ってのを実感するために。
今はね。
閑話休題
自己中心的利他、の話だった。自分の場合、例えばこういう思考パターンで行動を決める。
「ちょっと!洗濯物干しといて!」
って言われたとする。誰からとかはまぁ置いといて。
「あぁ!?お前だって別になにもやってないじゃん!
お前がやりゃあいいじゃんか!」
なんて反論しようものなら、
「なんで私ばっかりやらなくちゃいけないの!
ご飯も作る!
食器も洗って片付ける!
買い物も行く!
あんた何にもやらないんだから洗濯物ぐらい干したって罰は当たらないよ!
第一、洗濯機かけるところまではやってるんだから、それぐらいやってくれるの、当然じゃない!」
という反撃がくるのは間違いない。いや、実際来たことある。
「俺のほうが稼ぎは上なんだから、それぐらいはお前の仕事だろ!」
・・・まぁこんなことを言ったら終わりである。さすがにここまで言ったことは無い。
しかも、こんなやり取りをすると、必ず後日まで尾を引く。すぐに解消するなら御の字である。
じゃあどうするか?
「ちょっと!洗濯物干しといて!」
と来たら、なにも逆らわず大人しく干すのである。
ほんと、それだけ。
いや、それだけじゃない。
次の日からは、洗濯機を回すのもなんだったら自分がやるようにする。
ご飯を作っていたら、何をやっているのかを確認して、邪魔にならないように洗い物とかを片づけたりし始める。
言われる前に掃除機をかけたりし始める。
これってね、誰のためにやってると思う?
全部自分のためなのよ。
なんでか?って言うと、そうしないと自分が嫌なことが待っているから。
何が一番嫌ってね、うちの場合めっちゃ機嫌が悪くなると、ところかまわず当たり散らし始めるんだよね(誰が、とは言わない)。
もう、それを見るのが本当に嫌。
そんな姿を見るのが、自分のストレスになるし、モチベーションを下げるし、しかも後々まで延々と響く。
だからそうならないために、自分のために、相手のご機嫌を取る。
当然だよね?
見たくないんだったら、そうならないように予防線張るしかないんだから。
結果的に、「率先して家事を分担する」ってことになる。
そうすると、それを世間一般では、「なんて理解のあるご主人なの!家事を何も言わずに分担するなんて!」ってことになるらしい。
まぁ、これが自分がイメージしている「自己中心的利他」の中身である。
要は意識の違いなだけなのよ
同じことをしていても、同じ結末になったとしても、そこに至るプロセスを「自分で望んで」行った結果なのか、「自分の望まない」行動の結果なのかの違い。
矢印が自分のほうを向いているので、どうせだったら自分のためになり、かつ自分以外の人のためにもなる選択をしているだけの話である。
これが人間として出来ている人なら、矢印が他人のほうに向いているので、「この人にとってプラスになるように、自分はこうしよう!」なんて思考で行動を決めることもあるんだろうけど、残念ながらそこまで人間出来ていない。
でも、それでいいと思っている。
自分にとっては、自分の人生の主役は自分自身なので、自分の行動を決めるのも自分自身のためであるべきだと思っている。
まぁこれを迎合だの、事なかれ主義だの、根性なしなどと言うのなら、どうぞ言っておけばよろしい。自分は明確な価値観でこちらを選んでいるし、その結果与えらる評価なんて、ほとんど価値を感じていない。
自分が、それを、やりたいか、やりたくないか。
本当に、ただそれだけで行動を決めている。
もしも、自分がやりたいことが、ひょっとして他者を傷つけたり悲しませたりするものであった場合、それを実行するのはとても大きな決意が必要だろう。
自分のやりたいことが他者をも幸せにする、という生き方は、実はとても幸せなことなのかもしれない、となんとなく感じている。