自己中心的利他たる者(1)

自己中心的利他たる者(1)

毎日更新、なかなか自分にはハードル高め。
でも大丈夫。絶対出来るから。

大事なのは、いちいち反省して意識しないこと。・・・

いや反省は大切なんだけど、そこばっかり意識しちゃうと、いっぺんに嫌になっちゃうから。変に理想主義だと、ちょっと理想とずれると一気にモチベーション下がっちゃうから。

「ちょっとあんた!さっさと宿題やっちゃいなさいよ!毎日毎日遊んでばっかりなんだから!」
ってお母さんに注意された子供が、


「あ~!今やろうと思ってたのに、そんなこと言われたからいっぺんにやる気無くなっちゃった!」
って言い訳する感じ?

あれ?違うな・・・まぁそんなことはともかく。

本日からのテーマは「なぜこのブログを再開する気になったのか?」をもうちょっと詳しく。
「もうちょっと」、で済まない気もしない訳では無いけど、本日もやっていきましょう!

答え:自己中だからさ!

壮大な出オチなんだけど、ブログタイトルでも書いていることだから、出オチとも言わんのかな。


自分ははっきり言って、典型的な自己中心的人間という自覚の元、今まで生きてきた。

パーソナルプロフィールとして、12星座ではうお座、血液型はB型、干支では丑年と、大体の場合、「自由」「我がまま」「自分勝手」「他人の意見には耳を貸さない」ってタイプに分類されることが多い資質を持っている。

なので自己分析的には、見た目通りの自己中人物だと思っているのだが、どうも他人からの評価はそうでもないらしい。

その理由としては、自分が「他人の意見を否定せず、いろいろな人の意見をもとに折衷案を提案する、調整型タイプの人間」と思っているかららしい。

うん、それは全くもってそのとおり。だけどそれは自分がそれを意識してやっているからってのもある。

基本的に、自分はとんがった意見をまず最初から言わない。
例え腹案があったとしても、すぐには披露しない。だけど決して自分の主義主張を述べない訳でも、事なかれ主義な訳でもない。

それぞれの陣営から、それぞれの意見が出尽くしたあたりで、それらの意見から自分の考えにどれだけ寄せていけるか?そこに注力するタイプである。

だからなのか、「自分の主張を通さず、皆の調整役を買って出てくれてありがとう」とか、「いつも面倒な役回りばかりで大変でしょ?」ってな評価をいただくことが多いが、誤解である。

強引な論理展開とか、強硬策を取らないだけで、陰険な・・・もとい周到な根回しだったりとか、調整役を買って出た風で自分の都合のいい着地点に引き寄せていく手法を取っているだけのことである。

この手の感想を聞くたびに、自分の自己評価とずれてるなぁって感じることが多い。

個人的には「自分の主張を展開して、反対意見をねじ伏せる」タイプの人のほうが、大変だろうなぁ、って思っていたりするけど、まぁ価値観の違いだね。

ちょっと論点がずれたけど、つまり自分にとってこのスタイルは自分らしい生き方を続けるために自然と構築していったものなんだけど、このスタイルが他人の目には「利己的」では無く「利他的」に見えるらしい。

だけど、自分としてはあくまで自分本位に生きているだけなので、利己的か利他的っかって言われれば、「まぁ利己的?」って感じていた。

最近、それを「自己中心的利他」って表現していることを知った。へぇ~ってなもんである。

もともと自己中心的利他で生きてきた

考えてみると、自分はずっとこの「自己中心的利他」を自然と行って生きてきた、と思う。

大体が、自分が今勤めている業種って「医療・介護」なんだけど、そもそもこんな業種に首突っ込む時点で、「利他的」な行動にそれなりの価値観を見出していないと選ばない職業なんじゃないかな?って気がする。

つまり「他人のために」「他人の喜びが自分の喜び」みたいなタイプの人が、多業種よりも多めなのが「医療・介護」の業種なんではないだろうか?

もちろん、自分もそういったことに喜びとか価値観を感じている一人である。
でなきゃあ、こんなに何十年もこの業種にかかわり続けるのは難しいと思う。そして、やっぱりそういうタイプの人がこの業種には多いなぁって感じる。

でも自分の場合、そうは言っても一番大切なのは「自分」であり「自分の周りの人たち」である。例え利他的であったとしても、第一義は自己中なんである。

これは自分の生き方の大前提であり、この順序がひっくり返ることはあり得ない。「他人のために自分が犠牲になる」って思考は、天地がひっくり返ったって出てこない。


だけど、自己中心的な第一の価値観が満たされるのであれば、第二第三の価値観で他者が幸せになるか不幸になるかを選ぶなら、幸せになるほうがいいよね?って価値観なだけである。

そして、これはずっと若い時から、無意識に続けてきた自分の生き方だ。

徹底的に利己的に生きているんだけど、一方でその行動が、他人から見て利他的な評価を受けていれば、それは利他的な印象のほうが際立つってだけの話である。


別に狙って利他的であろうとしている訳じゃない。

例えば、自分の価値観は「自分と自分がかかわる人たち」を最上のものとしているが、一方で不特定多数の人たちに提供する「ボランティア」とか「募金・寄付」といったものには、実はあまり価値観を感じていない。

もちろん、ボランティアも寄付もすることはあるが、それは「不特定多数の人たち」へ向けた行動ではなく、あくまで「自分」とか「自分の周りの人たち」に向けた行動であることがほとんどである。

つまり「いい人を演じたい自分」とか「ボランティアする俺、いけてるー!」みたいなのが行動の原資になっている。それでいいじゃん。


いや、自己犠牲を伴う利他、やってる人はすごいと思うよ。でも続かないじゃん。自分にはそこまでの振り切りは出来ない。

今後、一時的には自己犠牲を伴う利他行動ってことをやってみる機会は出てくるかもしれない。

でも、そのうちまた自己中心的利他に戻ってくるんじゃないかな?それぐらい、自分の中では自然で大切な価値観になっている。



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