世間ではそれを壮大なブーメランと呼ぶ②

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ね?

来なかったでしょ?ちょっと時期を外した話からで申し訳ないけど。
まぁ結果論なんだけどね。

それでもやっぱり、次もこういった予言めいたものを耳にした際、「また懲りもせず・・・」と思いながらも「でもひょっとしたら・・・」って思っちゃうんだろうなぁってのも真実。
なんだろうねぇ?こういう感覚。

決して期待している訳じゃないんだよね。だって実際に起こったら、それはそれは嫌な思いやつらいことがわんさか押し寄せてくるに決まってるから。
だけど、何が何でも絶対阻止!・・・できるものじゃないけど、断固反対!って気持ちになり切れないのは、私だけだろうか?

怖いもの見たさ?

いや、違うなぁ。

多分、これは淡々とした日常に対する閉塞感から来るやつだな。いわゆる、「詰まらんなぁ。いっそ大事件でも起きないかなぁ」的なやつ。
ホントに起きたら困るんだけどね。

それくらい平々凡々とした日常に嫌気がさしているんだな、ってことを再確認しているにも関わらず、それを打破しようという気概もないものだから、体よく「地震」などのせいにして状況の変化を待ってるって・・・そう言う事だと思う。全く、どんだけ詰まらん生き方なのか。
まぁ世のサラリーマンの大多数は大なり小なりそういったこと考えて生きてるんじゃないのかな?って思ってる。「あぁ!(死なない程度に)事故にあったり病気になったりして入院でも出来ないかなぁ!」とか、「いっそ会社潰れないかなぁ!」とかね。

ほんと、奴隷根性って恐ろしいもんだよね。

 

あ~、さて。

人生の半ばをおそらく過ぎたであろう人間の生き様は、多少なりとも諦観が入ってきても仕方ないのではなかろうか?って言い訳をしてみる。だけど、結構流されて生きるタチとは言え、惰性だけで生きてく年齢でもないし、まだまだジタバタしながら生きてくんだろうなぁって思ってる。

一方で、自分の子供らにとっては、まさに前途洋々だしあらゆる可能性を秘めているし、なりたいものに何でもなれるだろうし。これからを決める大事な時期っちゃー大事な時期にさしかかってる。
多分当の本人たちは全く自覚してないだろうけど。

しかしながら、「こいつら先のことを考えて生きてるかな?」って最近本当によく思う。ほら、よく囲碁将棋では「○○手先まで考える」って言うでしょ?いわゆる先読み合戦だって。どちらがより深く先を読めるかで勝敗が決まることが多いのは間違いない。
それで言うと、うちの子供たちは多分3手先すらも考えていないと思う。
それをやったらどうなるか?それをやらなかったらどうなるか?今やるか、やらないのか?そうするとどうなるのか?

・・・ちょっと考えれば分かるような、簡単な損得勘定すら出来ないんじゃないんだろうか?

ただあらかじめ言っておくと、私個人としては、単純な損得勘定で動くような人間にはなって欲しくないと思ってる。それは人間的に何の深みもないし、絵に描いたような詰まらない生き方になるだろうから。
だけど、子供ってまずは単純な損得勘定から覚えていくものだし、そういった経験を積み重ねていって、複雑な人間関係に適応していくのがセオリーだと思っている。

正解、だとは思わないけどね。

でも定番だとは思う。

だから損得勘定は結構重視しているんだけど、それにしてもひどい。
今が良ければそれでいい、ってのがベースの考え方になってると思うんだけど、もうね、驚くぐらいに底が浅い。

例えば・・・

ん~例えになるかどうか分からんけど、どうしても朝起きれないのね。子供が。揃いもそろって。
で、じゃあ夜早く寝るしか無いじゃん。だから夜更かし出来んよ、夜更かしの原因になるゲームやスマホも禁止だよ、って言うともうそれが分からないみたい。
いや、だからゲームしたいんなら朝しっかり起きてよってだけなんだけど、それが出来ない。
なんだ、その程度もことも出来ないんだったら、それほどゲームとかスマホとかしたい訳じゃ無いんだ、って別に変じゃ無いよね?
結構単純な話にしてるつもりなんだよね。ギブアンドテイクだよって。ハードルも高くしているつもりないし。それなのに、それに見合う行動が出来ない。

こんなもんかね?

まだ子供には難しい理屈なんだろうか?

 

・・・まぁ翻って自分が子供時分の事を思い出してみると・・・言っておいてなんだけど、それほど先の事考えている訳じゃ無かったなぁ。やってることはうちの子供らと同レベルだったかなぁ?って気もする。
ただ何だろう?結構欲求には正直というか貪欲なところがあったから、目先さえよければいいってのもあったけど、一番得するポイントはどの辺か?って視点も割合早くからあった様に思う。
でもって、結構全力投球するところもあったから、逃げるとなったらトコトン逃げるし、やるとなったら諦めてやり続ける、ってのもあったと思う。

ズルい性分なので、いかに楽をするかに一生懸命頭を使うってのはあったし、トライアンドエラーは日常茶飯事だったなぁ。今でいうところのPDCAサイクルね。

とかって考えると、結局子供らの何が気に入らないのかに何となく気づいてくる。
こいつら、真剣さが足りないんだ。

いかに楽をするかを軸におくなら、失敗した部分は修正しなければ楽はできないし、大人受けのいい子供を演じるなら、きちんと裏表を使い分ける必要がある。そんなの自分らの年代の子供時代でも当たり前だったし、学校で浮かないようにするため、常にクラスメイトに意識が向けるってのが生活の中心、とかって子も多かったと思う。
やりたいことだけやれる、って生き方がもう無理なのは分かっているはずなので、じゃあ何を手にして何を捨てるかっての、そろそろ考えて実行に移す・・・そういうステップを踏んでいるはず。そういうのが感じられないから気に入らないんだ。

これが、まだ無理なだけなのか、根本的に無理なのかが問題なんだけど、根本的に無理ってことはないと思うので、出来てないのは「まだ」なだけなのか?

別に将来考えて生活しろだの、そのために勉強しろだの言うつもりは無い。そんなの、自分で気づいてやるべきだし、人から言われてやれるものでもないし、第一、学校ではそんな話ばっかりなはずなので。
ただ、「で、どうすんの?」って聞いたとき、自分で答えを出せるようになって欲しいし、その答えの理由も説明できるようになって欲しいって思う。それは次の休みの予定だったり、スマホをやりたいのか夜更かししたいのか、そういったことからでいい。

例によって長い目で見るしかないんだろうけど、うちの子供ら、揃いも揃って「この中では自分が一番マシ」って思ってるから始末が悪いんだよねぇ・・・ほとんど大差ないし、そこで安心されて、同じペースで生活続けられても困るんだけど。

でもって、やっぱり自分も子供のころと何も変わらず年取ってるだけなんだね、って気づかされる。
偉そうなこと言っても、基本的にはいかに楽をするかを念頭に生活設計をしている。それを表面的に真似ているだけなのかもって気もしてくるが、それならその先の結果にも責任を持つべきだ。少なくとも、大人は先を分かってズルをしている。

はず。

ただね。先を分かっているったって、例えば10年先を想像すると暗澹たる気分になっちゃうのは、やっぱり人生設計を間違えているのかな?って思ったりもする。

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